■会社概要
■概要
社名 | 東京豊島青果株式会社 | ||
本社 |
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支社 |
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代表者 | 代表取締役社長 唐木 裕史 | ||
創業 | 令和7年10月1日(新設分割) | ||
資本金 | 5,000万円 | ||
親会社 | 株式会社 R&Cながの青果(https://rcns.jp/
) 本社 長野県長野市市場3番地1 TEL 026ー284ー7888(代) |
■事業
事業内容 |
卸売市場法にもとづき、国内外の青果物及びその加工品の受託販売、並びに購入販売を業とする。
・野菜・果物及びその加工品の受託販売並びに購入販売 ・以上に関連する一切の事業 |
事業年度 | 毎年4月1日から3月31日まで |
年商 | 令和6年度 302億円(税込)/取扱数量98,635t |
従業員数
(嘱託社員含む) |
91名 |
取引銀行 | みずほ銀行駒込支店、三井住友銀行巣鴨支店、農林中央金庫本店、巣鴨信用金庫本店、城北信用金庫巣鴨支店・志村支店 |
■役員
代表取締役社長 | 唐木 裕史 |
取締役会長 | 倉ア 浩 |
取締役相談役 | 小泉 雄太郎 |
常務取締役 | 大和 嘉伸 |
常務取締役 | 塚本 能臣 |
常務取締役 | 岡本 禎洋 |
取締役 | 内海 隆浩 |
取締役(非常勤) | 堀 雄一 |
取締役(非常勤) | 堀 陽介 |
監査役 | 永井 一嘉 |
監査役 | 星川 悠介 |
■組織
本社 | 支社 |
監査室 | 監査室 | 管理本部 | 管理本部 |
営業本部 | 営業本部 |
営業本部 管理部 | 営業本部 管理部 |
営業本部 野菜部 | 営業本部 野菜部 |
営業本部 果実部 | 営業本部 果実部 |
■沿革
会社設立以前 | 昭和4年駒込青物市場が駒込青果市場と改称。 昭和11年11月駒込市場の問屋が合併し、前身の旭印豊島青果株式会社が設立。 (旭印第一青果、豊島青果、第二青果の合併) 昭和12年 2月豊島分場落成、同年3月25日に会場。 昭和18年10月から統制会社令により、東京青果物統制株式会社の豊島支店となる。 |
昭和22年 5月 | 東京青果物統制株式会社(東京青果梶jが8社に分立し、東京豊島青果株式会社が設立。 資本金230万円。 東京都中央卸売市場豊島分場、板橋及び王子配給所で業務開始。 |
昭和37年12月 | 東京都市計画中央卸売市場の変更告示により、豊島分場は豊島市場に 板橋・王子両配給所は板橋分場・王子分場に名称変更。 |
昭和40年12月 | 東京旭商事有限会社を設立。 |
昭和46年 4月 | コンピュータシステム導入。 |
昭和47年 2月 | 板橋市場開場とともに、当社板橋支社として業務開始。同時に板橋・王子両支店廃止。 |
昭和47年 4月 | 板橋流通センター完成、バナナ加工設備、パッケージ場の諸施設稼動。 |
昭和58年 4月 | 電電公社の全国市況情報ネットワーク「ドレス」システム加入。 |
平成 1年 1月 | 板橋流通センターに荷捌場建設。 |
平成 3年 6月 | 会社創設以来、数回の増資を経て資本金は2億3,760万円となる。 |
平成 7年 3月 | 差圧式バナナ加工施設導入。 |
平成 9年 7月 | 会社創立50周年記念事業実施。 |
平成12年 2月 | 生鮮流通ロジスティクス構築モデル実証試験。 |
平成12年 3月 | 板橋市場内に荷捌場を設置し、開設者へ寄贈。(300u、2棟) |
平成13年 3月 | 板橋流通センターに併設し、新荷揚場・保冷設備建設。 |
平成16年 2月 | NTTデータベジトレース(トレーサビリティ)実証実験参加。 |
平成16年 7月 | 板橋市場を定温化のため保冷施設3棟720u増設。 |
平成16年12月 | 構内PHSによる新電話システム導入。 |
平成17年 5月 | 椛蜍{中央青果市場と業務提携。 |
平成18年 9月 | 豊島市場卸売場へ低温卸売場建設。 |
平成18年11月 | 豊島市場内に屋根付荷捌場を設置し、開設者へ寄贈。(600u) 同市場内にピッキングセンター設立。 |
平成20年10月 | 平成20年度商物分離直接流通成果重視事業に参加。 |
平成22年11月 | 豊島市場隣接の当社建物1階をパッケージセンターにリニューアルし、 12月より株式会社H&Gが業務開始。 |
平成24年 1月 | 構内PHS網と携帯電話を共用した新電話システムを導入。 |
平成24年11月 | 業務加工に対応した板橋青果流通センターB棟建設。
旭商事有限会社にてピッキング業務を開始。 |
平成29年 5月 | 東京豊島青果株式会社設立70周年、豊島市場開場80周年を迎える。 |
令和 元年 6月 | 定時株主総会が第100期を迎える。 |
令和 2年 3月 | 品質保持徹底を目的に豊島市場1号館卸売場と5号館卸売場それぞれに定温倉庫を新設。 |
令和 6年 2月 | 資本金を1億円に減資。 |
令和 7年10月 | 青果卸売事業において、新設分割及び株式譲渡を行い、株式会社R&Cながの青果の完全子会社となる。 |
令和 7年10月 | 新会社東京豊島青果株式会社として事業をスタートする。 |
■駒込土物店(こまごめつちものだな)〜旧中山道〜豊島青果のルーツ
豊島市場の前身は駒込青果市場ですが、その起源は元和(1615〜24年)と言われています。
駒込の農民が毎朝、青物を下町へかつぎ売りの途中、駒込天栄寺境内のさいかちの大木で休憩していると近隣の人々や通りがかった人々が野菜を買い求めて集まるようになりました。 そこですぐに野菜の売り買いを仲介する者が現れ、市場が形成されていきました。 良質な名産品の駒込なす、にんじん、ごぼう、大根、芋の他、土のついた野菜が持ち込まれたので「駒込辻のやっちゃ場」、「駒込土物店」と呼ばれるようになりました。 やがて神田、千住の両市場とともに青物三大市場のひとつに数えられ、幕府の御用市場として栄えました。 その後、明治には駒込青果市場となり、昭和12年に豊島区へ移り、東京中央卸売市場豊島分場として開業したのが豊島市場並びに豊島青果の原点です。 さらに現在、豊島市場のそばにある巣鴨地蔵通り商店街(旧中山道)にも青果と深い関係があります。 江戸の発展に伴い、中山道の往来が盛んになると、訪れた人々が畑や農家の庭先でみる立派な大根やごぼうを見て、その種を欲しがるようになりました。 中山道に近い滝野川村の農家が副業として種屋を創業し、参勤交代の大名、家来や旅人が土産として地方に種を持ち帰るようになります。 大きな種問屋街を形成し繁盛するようになりました。 ここから練馬大根、滝野川にんじん、滝野川ごぼうなどの多くの種が日本全国に渡り、その土地で改良されながら現在に至るまで栽培され続けています。 |
![]() 駒込土物店
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■卸売市場の必要性と機能
青果物は、天気、気温、雨量、日照量などの自然条件によって収穫量が大きく左右されます。
青果によってはハウスを温めるために石油を使うので、石油価格が青果の価格に影響し、メディアで取り上げられた青果は需要が高まり価格に影響します。
ほとんどの青果は鮮度が落ちやすいため、長期保存が難しく、その鮮度によって価値が著しく変化します。
また、保存可能な青果であっても、それまでの貯蔵量によって価格は変動します。
特に最近では消費者の食のニーズが多様化し、小売店では豊富な品揃えが要求されています。 しかし、中規模スーパーであっても大きな貯蔵施設があるわけではありません。 そのため、消費者に新鮮な青果を提供するため、毎日の仕入れが必要になります。 そのような青果物の特性から生産者と買参人、あるいは消費者の満足する公正で妥当な価格形成と、鮮度を損なわないように迅速的な荷捌き等を行う必要があります。 さらに多種大量の品物を一つの場所に集め、集中的かつ能率的な取引を行うには、中央卸売市場が必要不可欠であり、 それを合理的に運営するのが中央卸売市場の青果会社です。 卸売市場には消費者に対して「生活必需品」である青果を消費者に安定的に供給する流通拠点として 【生産者へ販売先を確保】 【全国、あるいは世界中で生産される青果の受け入れ】 【適正な価格設定と様々な販売先への分荷・販売】 【生産者に代金を確実で速やかに送金】 【食品衛生法に基づいた衛生、品質管理】 という非常な重要な役割があります。東京豊島青果と豊島・板橋市場は時代の流れとともに形を変えつつ、これからも食のインフラとしてみなさまを支え続けます。 |
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